フィレンツェ国際ギター作曲コンクール
2025年 10月 10日
もう1週間前になりますが、イタリアで開催された第8回フィレンツェ国際ギター作曲コンクールにて優勝することが出来ました。
作曲を本格的に始めた33歳の時に「40歳までに海外の国際作曲コンクールで優勝する」という目標を掲げて頑張ってきたのですが、
2022年のポルトガル、2023年のバルセロナ、どちらもあと少し順位が届かずでしたが、2025年10月、あと1か月で40歳になるというギリギリのところで目標を達成することが出来ました。危なかった(笑)
作曲を始めてようやく目に見える結果が出て嬉しく思っております。
今回作曲した曲は優勝のオプションで来年のフィレンツェ国際ギターフェスティバルで初演され、イタリアの出版社から楽譜が出版される予定です。
その時は僕も初演に立ち会うためフィレンツェに伺います。20年ぶりのフィレンツェ行きに少し舞い上がっています(笑)
20年前フィレンツェに訪れた際は、ギターの同門の山田岳さん、勝部沙希子さん、土橋庸人くんと、イタリア北部の町ガルニャーノでの講習会で3週間ほど世界のマエストロオスカー・ギリアのマスタークラスを受講した後、みんででイタリア観光しようとそのままフィレンツェまで下り、1週間ほど滞在して随分と旅を満喫しました。
その時の記憶も相まって、今回のフィレンツェのコンクールは勝手に相性がいいのでは?とうっすら思っていました(笑)
しかし、今回正直優勝できるとは夢にも思っていませんでした。
本当はこの記事を書いている今日、別の国際ギター作曲コンクールへの締め切りがあって、イタリアに落ちたらこっちにこの曲は出そう~くらいの気構えだったので
コンクールのホームページに自分の名前が1位と掲載されているのを見て目を疑いました。正直まだ疑っています。
なので別のコンクールへのエントリーは中止して、演奏も含めると20年近く受けてきた”コンクール”という事象への挑戦は終わりました。
演奏のコンクールはいつも1位なしの2位とか2位ばかりで、演奏の仕事に支障が出るので30歳ぐらいのときにコンクールへの挑戦はやめました。
最後に受けた競楽という現代音楽の楽器無差別のコンクールがありまして、かなり気合を入れて準備したにもかかわらず一次予選で敗退。
当時現代音楽のスペシャリストを目指していた自分にとっては強烈な挫折として尾を引いたのですが、そのことがあってから様々なことを考えてそこから3年後にコンポーザーギタリストへの転身を決意し、独学で作曲を勉強し続け今日に至ります。
最初の3~4年くらいは、とにかく暗闇の森を明かりを灯さず手探りで独り進むといった感じで、本当にしんどかった。それは今も大して変わりませんが(笑)
それでも途中で分かってきたのが、人は自分の心をオープンにして捨て身で進み続けていると、それを見てくれている人は必ずいるという事に気づき始めました。
支えてくれた妻はもちろんの事、作曲でまだ何も結果を証明できていない僕の曲を弾いてくださった演奏家たち、応援してくれた方々。皆様には本当に感謝しています。
そして今強く思うのは
沢山挑戦して、沢山の失敗と挫折を経験して本当に良かった。
”あの時”現状維持ではなく、正直とても恐ろしいが未知で凄く楽しそうな道へ踏み出して本当に良かった。
作曲を始めたこの7年、周りではなく自分の価値観と徹底的に向き合ってきて本当に良かった。
作曲を通して自分という人間が大きく変われたと思えた事が、コンクール優勝よりも何よりも大きな財産です。
なのでこれからはコンクールではなく別の事へチャレンジしていきたいと思います。
現状で委嘱を頂いている曲は勿論、他楽器とのアンサンブルやギター協奏曲の作曲。
既に動き始めている”ロケポン”などのギター、音楽の素晴らしさを次の世代に繋いでいくためのギターアウトリーチ活動など。
そして新たなことをする度に岐路に立ち、その都度どちらへ進むのか選択を迫られると思いますが、毎回リスクのある道を選びたいと思います。
趣味の自転車からも得た知見ですが
「人に間違った道はない、どの道を選んでもその道を正解にしていくように努力しながら進むだけ」
結局リスクのない道は存在しません。だったらよりリスクが大きい面白い道をこれからも選び続け、ずっと新しい挑戦を続けていきたいと思います。
この記事を書いている理由は、コンクール優勝の報から20年近く保っていた緊張感の糸が切れて廃人状態になってしまい
何かしらで現在の気持ちをアウトプットして前に進みたいと思ったからでした。
拙い文をお読みくださりありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
by junpeiohtsubo
| 2025-10-10 20:38
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